2008年5月20日火曜日

ちあきなおみ

ちあきなおみさん。 私は昔人気だったタンスにごん!のCM以来見てませんね。


ちあき なおみ(本名:瀬川三恵子、1947年9月17日 - )は、1969年~1992年に活動した日本の歌手。1992年に夫の郷鍈治と死別をきっかけに、その後一切の芸能活動を休止、引退同様の状態となった。結婚後に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。

義兄(郷の実兄)に俳優の宍戸錠。


来歴
東京都板橋区出身。5歳の時にタップダンサーとして初舞台を踏み、幼少の頃から米軍キャンプやジャズ喫茶で歌を歌ったり、橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務めた。

小学2年で、神奈川県藤沢市辻堂へ転居。藤沢市立辻堂小学校を卒業。藤沢市立湘洋中学校へ進学。中学2年で、大田区立大森第三中学校へ転校。中学3年で、新宿区立大久保中学校(現在の新宿区立新宿中学校)へ再転校。

1969年に「雨に濡れた慕情」で歌手デビュー。1970年の「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。同年、第21回NHK紅白歌合戦に初出場、以降1977年まで8回連続出場。その後、「紅とんぼ」のヒットで1988年の第39回紅白には11年ぶりの出場を果たした。

1972年、代表曲となる「喝采」が日本レコード大賞を受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。この「喝采」は当時ちあきなおみの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクション。実際には前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったのだった。

レコ大受賞後も1973年に「夜間飛行」1974年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、前座歌手時代に演歌のレッスンを受けていたこともあり、その歌唱法を活かして1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し(酒場川のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」など船村徹作曲による演歌系作品も歌った。 またニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受け、1977年に中島みゆきの「ルージュ」や友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。 さらに1980年代前半にはアルバム『それぞれのテーブル』でシャンソン、『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダードジャズ、そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』を発表するなど洋楽のカバーアルバムを発表。1978年の結婚(後述)以降は歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われており、歌へのこだわりと熱意を持った歌手活動が続けられた。

1976年2月24日、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映された。実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、歌手ちあきなおみおよび彼女の楽曲『喝采』がドラマの内容に重要に関わっているものであった。

また、本人の演劇性やコミカルな部分を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMシリーズでは、癖のある主婦を好演(怪演)。1990年の自転車に乗った共演者・美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意されるバージョンは話題を呼び、美川憲一の再ブレイクのきっかけにもなった。

1978年に俳優の郷鍈治と結婚したが、1992年に死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで公の場所には一切姿を現していない。

水原弘のオリジナル曲をカバーし1991年に発表された「黄昏のビギン」は同年(京成電鉄・スカイライナー)と1999年~2003年(ネスカフェ・プレジデント)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1986年(AGFマキシム・レギューラーコーヒー)、1992年(Audi)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)とすべて別な企業のテレビCMに使われた。そのしっとりとした歌声が視聴者の心をとらえ、「誰が歌っているのか」との問い合わせが多数寄せられるなど話題になり、またちあきをリアルタイムで知らない若い世代からもテレビCM等で耳にして歌声に魅かれ、特に2006年の「星影の小径」は、その多重コーラスの美しさが現代のJ-POPにすら見られない歌唱法を大変新鮮に捕らえ、ちあきなおみの世界に飛び込んだという若者も少なくない。 さらに、それらと前後して2000年に発売された6枚組CD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』は歌謡曲系のCD-BOXとしては異例のヒットとなり、ワイドショーでも取り上げられるなど人気が再燃し、未だにファンが増えている。

2005年11月にはNHK-BS2で90分の特集番組『歌伝説・ちあきなおみの世界』が放送され反響を呼び、初回放送を含めるとBS2・NHK総合(地上波)・NHK-BSハイビジョンで2007年8月までその放送回数は6回にも及んだ。また2007年2月にはテレビ東京『たけしの誰でもピカソ』で民放初となる本格的な特集番組が組まれた。2008年1月25日にはその続編も放送された。2007年には徳永英明が自身のカヴァーアルバムシリーズの完結篇となる「VOCALIST 3」の初回盤で「喝采」を取り上げている。

1992年以降の休業後、毎年のようにベスト盤などのCDがリリースされ、2003年に通販のみで発売された10枚(巻)組CD/カセットBOX『うたくらべ』も1万セット以上の売り上げを記録。歌手活動を望む声は今もなお絶えず、むしろその要望は高まる一方だが、復帰のニュースは今も聞こえておらず、今後もちあきの芸能活動再開の可能性は絶望的な状況である。


まずはこの代表作、喝采。



そして、4つのお願い。





星影の小径。



すごく歌もうまいし存在感のある歌手でした。

今はどうしているのでしょうか?

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