2008年5月7日水曜日

1972年 朱里エイコ

朱里エイコ。 100ドルの脚線美とうたわれた女性歌手でした。


朱里 エイコ(しゅり- 、本名:田辺栄子(たなべ えいこ)、1948年3月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歌手。

1948年3月19日、舞踏家兼振付師で『エド・サリヴァン・ショウ』に出演歴のある朱里ミサオの娘として東京に生まれる。
1964年11月、日本人の海外渡航自由化の年に単身渡米。ボブ・アルシルバーに師事、ラスベガスを中心に舞台にも出演。
1966年9月、帰国。
1968年、2度目の単身渡米。ラスベガスのショービズに身を投じる。
1970年1月、ラスベガスでのショーが大成功をおさめる。
1970年2月、Eiko Shuri and her bandとして「サハラ・ホテル」で2か月のロングラン。
1971年2月、帰国、その後ワーナーパイオニアと契約。
1972年12月31日、『北国行きで』で第23回NHK紅白歌合戦に初出場。
1973年12月31日、『ジェット最終便』で第24回NHK紅白歌合戦に出場。
1975年、マネジャー渥美隆郎と結婚。
1975年3月28日、渡米。
1975年4月1日、半年の全米ワンマンツアー開始。
1975年10月、タワー・オブ・パワーとのレコーディング。(シングル『愛のめざめ I'm Not A Little Girl Anymore』)
1976年10月27日、カーネギーホールでのリサイタル後、帰国。
1978年、離婚。
1979年12月10日、初のベストアルバム発売、ワーナーとの契約終了。
2004年7月31日、虚血性心不全のため自宅にて死去、享年56。


代表的な歌は、北国行きで。 演歌でもないのに、女が恋に破れるとなんで北に行くんですかね?


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