2008年5月7日水曜日

日産シーマ

この間ご紹介したレパードが横浜新道で事故にあい全損してしまったため次に家にお嫁に来たのがグロリアシーマちゃんでした。

以下、ウイキペディアからの抜粋


シーマ(CIMA)は、日産自動車が生産・販売しているフルサイズラグジュアリーセダン。日産のオーナーズカーとしては最上級車種である。

4代目となる現行型には、同じプラットフォームからの派生車種として日産自動車のフラグシップモデル、プレジデントがある。

バブル景気絶頂期に、Y31型セドリック/グロリアとプラットフォームを共有する上級派生車種として登場。販売チャンネルごとに「セドリック・シーマ」(ローレル販売会社=日産モーター系列・太洋日産・西武日産)、「グロリア・シーマ」(スカイライン販売会社=日産プリンス販売系列)として販売された。

初代 FPY31型(1988年-1991年)

FY31グロリアシーマ(フロント)
FY31セドリックシーマ(リア)1987年10月 東京モーターショーに出品。
1988年1月 発売開始。
キャッチコピーは「きっと、新しいビッグ・カーの時代が来る。」(Y31連合)「誰だって、ふりかえる。」「THE BIG CEDRIC」(セドリック・シーマ)「頂点に立つあなたへ。」「THE BIG GLORIA」(グロリア・シーマ)。
セドリック/グロリアは5ナンバーサイズの車体であったのに対し、3ナンバー専用車体として登場。搭載エンジンはVG30DE型V型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボ(ハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S、タイプIIリミテッド)の2機種(のちにレパード(2代目)にも搭載された)。ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。
元々日産の開発陣が、トヨタ・クラウンの3ナンバー版を開発しているとの情報を聞き急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売は出来ずに半年遅れての発売になった。しかし、その半年の遅れ及びセドリック/グロリアとの印象を大きく変えた事で別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバーのイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは、鎌倉(長谷)の大仏である。ボンネットに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。
国産車離れしたスタイリッシュな外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例に一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだときリヤを下げながら暴力的でいて静かな加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的に売れた。これは「シーマ現象」と呼ばれ、3ナンバー車ブームのきっかけとなる。その感動を忘れられない層のため、その後のモデルでもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。
反面その車格および当時の経済情勢から社用車や個人タクシーにも採用されることも多く、用途によって後席居住性に課題を残すこととなった。
1989年3月 パーソナル キーの材質をステンレスに変更。
1989年8月 マイナーチェンジ後タイプIIリミテッドAVマルチが追加される。ナビのアンテナが天井にあるためサンルーフの同時装着はない。その他バブルカーを象徴する豪華なオプションも多数用意される。

ま、うちでこのシーマですから、この頃ってほんとバブルな時代でした。




うちのはスポーツタイプでしたので硬めのサスペンションでしたが、でもフルアクセルを踏むとホイールスピンを起したものです。 環八でスピンも経験しました。

10年ちょっとのり続けましたが近年何故かプリメーラワゴンへと買い換えました。




誰だって振り返る、、、、まあグロリアのデコレーションケーキと言われればそれまでですがね。

僕は大好きでした。

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