2008年5月27日火曜日

川田亜子さん 自殺


この間、ケンミンショースペシャルを見て、柴田理恵さんと日本海の海は沖縄と違ってあんな綺麗な色じゃないし波も高いんだから~とおっしゃって、生足をだしておられた川田亜子元TBSアナが自らの命を絶たれました。




東京都港区内の自宅近くの路肩に止めたベンツの車内で26日朝、元TBSアナウンサーで、現在はフリーで活躍していた川田亜子さん(29)が死亡しているのが見つかった。車内には家族に宛てた遺書と練炭の燃えかすが残されていたことから自殺とみられる。関係者によると、川田さんは精神的に不安定だったといい、直前の自身のブログに「一番苦痛です」「いまはせつないです」と悩みを打ち明けていた。

 警視庁三田署によると、26日午前6時15分ごろ、東京都港区海岸の路上で、「車の中で女性が倒れている。車内に練炭のようなものがある」と近くに勤める会社員から110番があった。署員が駆け付けたところ、歩道に乗り上げるように止まっていた白いステーションワゴンタイプのベンツの運転席で、川田さんが助手席側にもたれ掛かるように倒れていた。

 既に死亡しており、死因は一酸化炭素中毒とみられる。後部座席には燃えた練炭のコンロ2個が残され、運転席の窓は内側から透明のビニールテープで目張りがされていた。車のダッシュボードには家族に宛てた遺書が残され、「疲れた」との言葉や家族への感謝がつづられていたという。

 現場は川田さんの自宅マンションから数百メートル。川田さんはグレーのパーカーに茶色のスカート、サンダルといったラフな服装だった。ベンツは事務所名義。ドアは未施錠で、エンジンも掛かっていなかった。現場は運送会社の事務所などが立ち並び、夜間の人通りは少ないが、前日の午後8-9時には既にベンツが目撃されていた。

 精神的に不安定だったとされる川田さんは、自身のブログにも心境を語っていた。「母の日」の翌日、5月12日には、「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」と記していた。

 5月14日には体調不良を訴え、「元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます」とブログの休止を宣言。16日に再開したが「うーん 体がまだ元気!といかないようです」「少し体調が悪い私ですが、ちゃんと頑張って生きています」などとつづっていた。

 22日には「仕事の合間」と題し、「一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」と苦しい胸の内を吐露していた。

 川田さんは1979年1月17日、金沢市出身。盛岡白百合学園から白百合女子大に進み、2002年にTBSに入社。整った顔立ちと長身(163センチ)で「あこちゃん」の愛称で人気となり、入社半年で朝の番組のメーンキャスターに抜擢されるなどTBSの顔として活躍した。主に「爆笑問題のバク天!」「はなまるマーケット」などバラエティーや情報番組に起用されていた。

 一方、2年目にはストレスから急性胃腸炎で倒れたことも。バラエティー中心の起用に、報道番組を希望していたといい、昨年3月に退社し、4月からフリーとして活動を始めていた。

 現在も同局系で「がっちりマンデー!!」(日曜午前7時半)にレギュラー出演していたほか、テレビ朝日系「サタデースクランブル」(土曜午前9時半)にも出演。キー局アナウンサーが退社直後にライバル局の番組でレギュラー出演することで話題を集めた。

 所属事務所によると、24日の午前中に放送された「サタデースクランブル」に生出演していた。

 川田さんの自殺について、TBS広報部は「突然のことで驚いております。心より、ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。
夕刊フジ (提供元一覧)








発作的な自殺らしいですが、私も最近は何で今ここで生きているのかいろいろ考えさせられることがあり、だからといって新興宗教に入信もできなく、こういう人の気持ちがわからなくもない毎日です。

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