2008年6月4日水曜日

太田裕美

太田裕美 キンキン裕美のお昼の番組なんて覚えている人はいないでしょうね。

世田谷区在住です。

私は、NHKの朝ドラ、さくらのお母さん役のほうが好きです。



太田裕美(おおた ひろみ、1955年1月20日 - )は歌手。 本名は福岡 弘美(ふくおか ひろみ)。東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ち。血液型はA型。

歌手であるが、独特のハイトーンの可憐な声質や、ルックスの良さ(可愛さ)からアイドル視される事もしばしばあった。事実、当初はキャンディーズの一員としてデビューする予定だったが、田中好子と交代している(松下治夫「芸能王国渡辺プロの真実」)。歌謡曲を歌う庶民的なアイドル歌手と、1970年代半ばに台頭してきたフォーク/ニューミュージック系歌手との中間的なイメージがあり、独特な位置づけの人気歌手になった。

8歳からピアノを習い始める。

1967年に上野学園中学校音楽指導科声楽科に入学する。 1969年、中学3年のときに友人のかわりにスクールメイツのオーディションをうけ、合格する。受験理由はザ・タイガースが見たかったため。 これにより渡辺プロの東京音楽学院に入ることとなった。

1972年(高校3年)の11月にはNHKのテレビ番組「ステージ101」内「ヤング101」の内部オーディションを受け、ショパンの『子犬のワルツ』をひいて合格する。1973年1月にはスクール・メイツからステージ101レギュラーメンバーへ以降、レギュラーは1974年3月まで続く。101から芸名を本名の弘美から「裕美」へと変更した。上野学園では芸能関係の音楽学院への通学は禁止されていたため、初期は学校に内緒で通っていたが、テレビに出ることにより許可が必要になるが、普段の素行のよさから特例で認められた。

ヤング101終了後、オーディション番組に出て優勝、渡辺プロと新人養成契約を結び、ライブハウス等でピアノの弾き語りで歌い始める。

1974年11月1日に『雨だれ/白い季節』でデビュー。デビュー初期はフォーク調で、ピアノによる弾き語りの曲が多かった。

1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた『木綿のハンカチーフ』が大ヒット、翌1976年のオリコンチャート4位を記録(1位は子門真人『およげ!たいやきくん』)、スター歌手の仲間入りを果たした。なお、NHK紅白歌合戦には初登場の1976年から1980年まで、5年連続で通算5回の出場経験がある。

この後の曲調はポップスが中心となり、その後も1976年から1977年にかけて『赤いハイヒール』『最後の一葉』『しあわせ未満』『九月の雨』などをリリースしてヒットさせる。しかしその一方で多忙をきわめ、喉を痛めるなどの苦労もあった。

既存のアイドル歌手にはない清潔さと品を感じさせる一方で、ニューミュージック系歌手にありがちな暗く孤高なイメージも皆無なため、大学生などに絶大な人気を誇り、渡辺プロ公式ファンクラブができるより早く、東京大学で太田裕美ファンクラブが結成された。いわゆる「学園祭の女王」という称号を得た最初の歌手とも言われている。

1982年に8ヶ月間アメリカ合衆国、ニューヨークに単身留学(「八番街51丁目より」で第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞)(「ニューヨークなんて怖くない」を帰国後に執筆)。帰国後はディレクターがデビュー時からの白川隆三から、後に夫となる福岡智彦に変わり、テクノポップ調の曲を多くリリースするようになった。このニューウエーブ系新路線は、銀色夏生(山元みき子)、BaNaNa、板倉文、ホッピー神山、岡野ハジメ、杉林恭雄などがサポートしていた。

1985年にディレクター兼プロデューサーの福岡智彦と結婚、子育てに専念するため活動を大幅に縮小する。 1980年代後半からは遊佐未森らへの楽曲提供も行うようになる。

1998年に子育て(男の子2人)が一段落したため活動を再開、ミニアルバム『魂のピリオド』をリリース、松本隆、筒美京平とのゴールデントリオを復活させた。

アメリカの独創的な弦楽四重奏グループ・クロノス・カルテットのアルバム『弦楽四重奏曲の諸相 II〜冬は厳しく』に、太田の朗読がフィーチャーされているのは一部で有名。

かつて福武書店(現・ベネッセコーポレーション)の「進研ゼミ」のCMで女の子(実の子供ではないが)と共演した様に、近年は主婦としてのテレビ、雑誌出演が多く、同年代の主婦層からはカリスマミセスとしての一面を見せる。

2005年、かねてから親交のあったミュージシャンAYUOとの連名でアルバム『RED MOON』を制作、ニューヨークのレーベルTZADIKから1月20日のちょうど50歳の誕生日にアメリカで発表。全曲に太田裕美のヴォーカルがフィーチャーされており、隠れたオリジナルアルバムともいえる作品になっている。曲のなかには自宅の地下スタジオでレコーディングされた曲もある。

2008年現在コンサートツアー、ラジオのパーソナリティ(NHK-FMは同年3月28日限りで終了)、ドラマ出演等、精力的に活動している。また太田、伊勢正三、大野真澄の3人で全国をまわっている『アコースティックナイト』コンサートを開催していて、好評を得ている。この3人は「なごみーず」と呼ばれるユニットを組んでおり、2007年12月2日にはコンサート会場と通販のみの限定リリースで、ライブ盤のCD「アコースティックナイト」を発売した

私が好きなのは9月の雨。



あとは、みんなが知っている。 木綿のハンカチーフ。




マイナーなところではこれ、幸せ未満。



あと、こんなのあったんですね。 さらばシベリア鉄道。




この舌ったらずの歌い方、いいですね。

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