2008年6月4日水曜日
浦辺粂子
浦辺粂子、覚えている人いますか?
うらべくめこ、1902年10月5日 - 1989年10月26日)は日本の女優。本名は木村くめ。
浦辺粂子(うらべ 日活京都で、尾上松之助の相手役として『馬子唄』でデビュー。日活旧劇(時代劇)女優としては、岩井咲子に続く第2号ということになったが、ついた役は、女中や腰元ばかりであった。第二部の『清作の妻』で、映画に出演し、性格女優として人気を博す。その後、結婚により退社するが、離婚して復帰する。そして、日活大争議により退社し、入江プロを経て、新興キネマ太秦撮影所に入る。 のち、新興の大映吸収にともなって大映所属となる。大映倒産後は、フリーとなった。また、20歳代から老け役女優として活躍していた。
戦後日本映画全盛時代の1950年代からは、名脇役として目覚しい活躍を見せた。成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明といった名匠の作品にも、多数出演している。
1980年代には、テレビのバラエティ番組でも「おばあちゃんアイドル」として人気を呼ぶ。タレントの片岡鶴太郎によくモノマネされ、ネタがすぐばれる手品などは大変有名であった。フジテレビ系のバラエティ番組『ライオンのいただきます』では、塩沢とき等とともに常連ゲストの一員だった。
1982年ごろに「るんるんるん♪」と歌っている「わたし歌手になりましたよ」で歌手デビューを果たした。これは、1992年にきんさんぎんさんに抜かれるまで、日本での最高齢レコードデビュー記録であった。
1989年10月25日、自宅で料理中に、洋服の袂にコンロの火が引火、全身に大火傷を負い、翌26日搬送先の病院で死去。享年87。
生前の映像はこちらを。
懐かしいですね。
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