2008年6月4日水曜日

塩沢とき


くめこさんが来たら次は塩沢ときでしょ。


塩沢 とき(しおざわ とき、1928年4月1日 - 2007年5月17日)は、日本の女優。本名、塩沢 登代路(とよじ)。

東京市牛込区中里町(現・東京都新宿区中里町)出身。実践高等女学校(現・実践女子学園高等学校)卒。かつては東宝芸能に所属していた。

1947年、杉葉子らとともに東宝ニューフェイス第2期に合格。1950年には端役で『女三四郎』にて映画初出演、以降『武蔵野夫人』(1951年)、『うれし恥かし看板娘』(1954年)、『見ないで頂戴お月さま』(1954年)『大学のお姐ちゃん』(1959年)など数々の東宝の作品に清楚な美人女優として出演する。テレビの時代に入ると、様々なドラマの脇役で大活躍、特に『愛の戦士レインボーマン』や『へんしん!ポンポコ玉』、『ケンちゃんシリーズ』などの子供向けのドラマ作品では敵役の魔女、教育ママなど個性的な役を好演、子供たちの間にも隠れファンを多く持つようになる。

しかし30歳のときに舌癌を病み、その手術の際に総入れ歯となってしまう。このことはずっと秘密にしていたが、1981年、テレビ朝日系列『徹子の部屋』にて初告白、その後、自身の体験を本にして出版する。また、このときに過去の華麗な恋愛を披露し、さらには「男性のものを頂く」という間接的表現で精飲など情熱的な性行為を告白し、周囲に衝撃を与えた(『ライオンのいただきます』に出演した際、視聴者からの相談で『彼の精液がどうしても飲めないんです』に対して、『私なんか(今迄に)一升ぐらい飲みましたわよ』と発言した事もあった)。

その後、フジテレビ系列の『月曜ドラマランド』などでお金持ちの奥様やカカア天下の課長夫人などの役を、これまた個性的に怪演、1984年よりフジテレビにて始まった小堺一機司会のトーク番組『ライオンのいただきます』にゲスト出演、そのトークと大きく結った独特のヘアスタイル(デヴィ夫人に憧れてこの髪型にしたとの説もある)で人気を博し、ドラマにバラエティに映画に出演、売れに売れまくる。が、その最中、またもや今度は57歳で右乳癌を患い入院、手術する。

その後はマイペースにドラマ、映画、舞台、などの仕事をこなしていく。しかし1999年、今度は骨粗鬆症を患ってしまうが、その間も杖をつく役などで体をフォローしつつ、少しずつドラマなどの仕事をこなしながらも5年間の闘病生活を送る。

新薬の出現で骨粗鬆症を無事完治した2004年9月、左胸に違和感があり、前回の執刀医に診察してもらうと、乳癌であることが判明した。ごく初期だったため、乳房を残す方法も検討されたが「ありったけ取ってください」と全摘出。手術は無事成功し、元気に仕事をこなしていた。摘出前は巨乳としても有名だった。

平田昭彦に憧れの情を持っていたと、インタビューで述べている。平田は小学校のときの同級生で同じ東宝に所属し、『大学のお姐ちゃん』や『レインボーマン』など、多くの作品で共演している。

好物はヒレステーキであった。

舌癌・左右両方の乳癌と3回も癌を患っていたが、克服しており「癌は治る」と元気に話していたが、2007年5月17日、スキルス性胃癌の為東京都目黒区の病院で死去。享年80(満79歳没)。





夏体験物語にも出ていましたよね。 藤井一子、チェックポイント。




癌と戦った人生だったんですね。 私も気をつけなければ。 男でも乳がんになることがあるって聞きました。 下手な女よりはありますからね。

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