2008年6月11日水曜日
ヤグディンとタラソワ
フィギュアスケートのオリンピックの男子シングルで思い出すのがアレクセイヤグディンの仮面のプログラムです。 これは今売れっ子のニコライモロゾフの振り付けだそうで。
アレクセイ・コンスタンティーノヴィチ・ヤグディン(ロシア語:Алексе́й Константи́нович Ягу́дин、ラテン翻字:Alexei Konstantinovich Yagudin、1980年3月18日 - )は、ロシアサンクトペテルブルク出身の男性プロフィギュアスケーター。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル金メダリスト。1998年、1999年、2000年、2002年世界選手権優勝。愛称はアリョーシャ。ロシア語発音としては「アリクスィェーイ・カンスタンチーナヴィチュ・ヤグーヂン」が近い。
4歳からフィギュアスケートを始め、10歳からはサンクトペテルブルグ・フィギュアスケート・アカデミーの総監督アレクセイ・ミーシンコーチの元で習うようになった。
1993-1994年シーズンの世界ジュニア選手権では4位に終わったものの、1995-1996年シーズンにオーストラリアのブリスベンで開催された世界ジュニア選手権で優勝。また、シニアクラスの1996年欧州選手権にも出場し6位入賞を果たした。
1996-1997年シーズンからはシニアクラスに完全転向し、ISUグランプリシリーズに参戦。1997年世界選手権では初出場ながら3位に入り、表彰台にのぼった。1998年、17歳で長野オリンピックに出場。ショートプログラムでは4位につけるも、体調を崩し翌日のフリースケーティングでは5位、総合でも5位入賞に留まった。長野オリンピック後に開催された1998年世界選手権では、優勝を飾り世界チャンピオンとなった。1998年夏、当時頭角を現していたロシアの後輩エフゲニー・プルシェンコをより熱心に指導するようになっていたアレクセイ・ミーシンコーチの元を離れ、単身アメリカに渡り、長野オリンピック金メダリストイリヤ・クーリックの指導者だったタチアナ・タラソワコーチに指導を受けるようになった。
1998年から2002年にかけてはプルシェンコとハイレベルな接戦を繰り返し、4回転時代を牽引する一人となった。1998年・1999年・2000年と世界選手権を3連覇。2001年世界選手権ではプルシェンコに敗れて2位となったものの、翌2001-2002年シーズンには出場したISU公式競技会の全てで勝利を飾った。
2002年2月のソルトレイクシティオリンピックではショートプログラム、フリースケーティング共にミスなく滑り、特にフリースケーティングでは4人の審判員が芸術点で「6.0」を出し、技術点は審判員全員が5.9をつけるという完成度の高い演技をして金メダルを獲得した。同年3月の長野市で行われた2002年世界選手権にも出場。前年の世界選手権でプルシェンコに敗れて2位だったことを忘れてはおらず「自分のタイトルを取り戻しにきた」と語った言葉通り、自身4度目となる優勝を飾った。なお、プルシェンコは怪我を理由に欠場したため頂上決戦の再現とはならなかった。このときはショートプログラムで技術点で1つに芸術点で5つの計6つの「6.0」を出し、フリースケーティングでも芸術点で2つの「6.0」を出した。
2002-2003年シーズンのグランプリシリーズ初戦のスケートアメリカではショートプログラムで首位に立ったものの、元々抱えていた先天性の股関節疾患の悪化によりフリースケーティングを棄権した。シーズンの出場予定試合を全て欠場したが怪我は回復せず、2003年にアマチュア競技会から引退した。
2003年にプロに転向。現在は「スターズ・オン・アイス」などで活躍中である。
で、ミーシンの元を離れてからはこのタラソワおばさまがコーチを。
タチアナ・アナトーリエヴナ・タラソワ(ロシア語:Татьяна Анатольевна Тарасова、:ラテン翻字:Tatiana Anatolyevna Tarasova、1947年2月13日 - )は、旧ソビエト連邦の元女性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケートコーチ。数々のオリンピックチャンピオン、世界チャンピオンを育てたことから「チャンピオンメーカー」と称されている。ロシア語読みでは「タチヤーナ・アナトーリイェヴナ・タラーサヴァ」が近い。
これまでの教え子は、男女シングルでイリヤ・クーリック、アレクセイ・ヤグディン、荒川静香、ペアでイリーナ・ロドニナ&アレクサンドル・ザイツェフ、アイスダンスではパーシャ・グリシュク&エフゲニー・プラトフ、ナタリア・ベステミアノワ&アンドレイ・ブキン、マリナ・クリモワ&セルゲイ・ポノマレンコ、バーバラ・フーザルポリ&マウリツィオ・マルガリオらをいずれもオリンピックチャンピオン、世界チャンピオンに導いており、シングルよりもアイスダンス界でさらに活躍した。
2005年夏まではアメリカに在住してスケート指導や振り付けをしていたが、現在は母国ロシアへ拠点を移しスケート連盟の顧問に就任。
たいへん高級そうな毛皮のコートをいつも纏っているため、フィギュアファンの間では「タラソワ=毛皮」のイメージが固まっている。また体調があまり良くないので教え子であるアンドレイ・グリアゼフの指導はエレーナ・ブイアノワ(旧姓:ボドレゾワ)にも任せており、タラソワ本人は振り付けの仕事を主にしている。2007-2008年シーズンの浅田舞と浅田真央の振り付けを担当。
これがソルトレイクオリンピックのLP。 完璧です。
タラソワは荒川静香をコーチした最終の年にコネチカットのシムズベリーからモスクワに戻って今はロシア在住です。
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