いすゞ・ピアッツァ
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ピアッツァ (PIAZZA) は、1981年よりいすゞ自動車より発売されたクーペ型の乗用車である。
PFジェミニの販促用のアイキャッチモデルとして計画されたが、発売開始時期が117クーペの販売終了時期と重なった為、117クーペの後継車的位置付けも加えられた。初代のデザインは117クーペと同じくジョルジェット・ジウジアーロが担当した。
いすゞのフラグシップを務め、2代目モデルはプラットフォームをジェミニと共有する。
なお、歴代のいすゞ製乗用車のなかで本車のみ、ディーゼルエンジン搭載モデルが存在しない。
歴史
[編集] 初代(1981年-1991年)
初代いすゞ・ピアッツァ
最終型・ハンドリング・バイ・ロータス
ピアッツア・ネロ(北米仕様インパルス)
エンジン 型式:4ZC1(ターボ付)
出力:150ps/5400rpm(NET)
最大トルク:23kg-m/3400rpm(NET)
燃料搭載量:58L
モーター
駆動方式 FR
サスペンション ダブルウィッシュボーン/コイルスプリング/スタビライザー付(フロント)
5リンク式/コイルスプリング/スタビライザー付(リア)
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4385mm
全幅 1675mm
全高 1300mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2440mm
車両重量 1250kg(MT車)
最小回転半径 4.8m
ブレーキ ベンチレーテッド・ディスク式(前後輪共)
先代 いすゞ・117クーペ
同クラスの車 トヨタ・セリカ
日産・シルビア
ホンダ・プレリュード
三菱・スタリオン
マツダ・サバンナRX-7
フォード・プローブ
スバル・アルシオーネ
-自動車のスペック表-
形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車)。
1981年5月登場。1979年3月のジュネーヴショーに、ジョルジェット・ジウジアーロ が1980年代のボディラインとして出品したデザインカー「アッソ・デ・フィオーリ」(Asso di fiori、イタリア語でクラブのエース)をスケールアップし、細部にリファインを加えて商品化した。通常ショーカーを量産化する際は生産効率を上げるため、何らかの手を加えるのが常識であり、このいすゞの冒険的試みは世界中から驚きを持って受け止められる。あいにく、当時の国内の保安基準との兼ね合いでフェンダーミラーでデビューせざるを得なかったが、この件に関し、ジウジアーロが激怒したという話は俗説のようである。その様な事実は存在せず、フェンダーミラーもジウジアーロがデザインしている。
CD値0.36、トルクウェイトレシオ70kg/kgm、パワーウェイトレシオは8.8であった。エッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状のクーペで、大人4人が乗っても余裕の驚異的な居住性の高さを誇った。そのデザインはジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さを誇り、またデザイン時より空力を十分に考慮された非常に先進的なものである。
特にサテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、慣れてしまえばステアリングから手を離さずにエアコンやハザードスイッチ操作など、大抵の操作が出来る。右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目が用意されている。
いすゞのフラッグシップであり、オートエアコンやマルチドライブモニター(JR130 XES,XE)、車速感応型操舵力可変パワーステアリング、パワーウィンドウ等の装備が盛り込まれた。いち早く後席3点式シートベルトを採用する等安全面の配慮も先進的であった。デジタルメーター(XES,XEに標準装備)、ワンアーム式フロントワイパーも特徴として挙げられる。
1983年5月、マイナーチェンジ。ドアミラーが装着された(ちなみにドアミラー第1号車は日産・パルサー、EXA)。
1984年6月、1983年に登場したアスカに搭載された、アスカ用エンジン(4ZC1-T)にインタークーラー付きターボエンジンを搭載したモデルを投入(「XE」、「XS」)。出力は180PSで、当時2000ccのOHCエンジンとしては日本一を誇った。あまり知られていないが、トルクウェイトレシオはかなり長い間日本車ベスト10に入っていた。
1.9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。
1985年11月、旧西ドイツのチューナーイルムシャー (irmscher) に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。しなやかな足回りに、ステアリングにMOMO、シートはレカロを採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観により人気を博し、新たな顧客層を開拓した。
1987年8月、一部改良。テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。84年6月より受注生産だった1.9L DOHCを廃止。2L版の出力表示をネット化(180PS→150PS、1.9L SOHCはグロス表示(120PS)のまま)。
同年、通商産業省(現・経済産業省)グッドデザイン賞部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。
1988年6月、ロータス社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) 仕様が追加。MOMOステアリング、LOTUSチューンドサスペンション、英国アームストロング社製ド・カルボン型ショックアブソーバー、BBS社製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。1.9L版を廃止し2Lターボに一本化。
1990年、最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。
1991年8月、販売終了。総生産台数113,419台(いすゞ自動車Webサイトより)。
海外では、北米市場にて「Impulse」(インパルス)(en:Isuzu_Impulse)、他の地域では「Piazza」の名前で販売された。
機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは、デビュー時のエンジンはPF ZZ用の1800ccDOHCを改良の上、1949ccにスケールアップしたDOHC(G200WN)と117クーペ用のOHC(G200ZNS)を改良したものを搭載。G200WNはエアフローメーターに世界で初めてホットワイヤを採用し、クランク角センサーはフォトダイオードを使用した無接触式(世界初)、ECUはセルフダイアグノーシス機構を有する(世界初)ものであり、117クーペに搭載されたG200WEとは見掛けの出力が同じだけで内容的には別物である。
当時は激しいパワー競争の最中であり、最高出力135PS(グロス値)トルク17kg-mでは不足がちとなってきた為、1984年6月よりアスカ用エンジンをベースとした2000cc電子制御式ターボ付OHCをラインナップに追加(1.9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180PS[1]、トルク23kg-mを記録した。
変速機構は5MTと4AT。ATはアイシンワーナーがトヨタ以外に初めて供給した4速ATであり、その事でも話題になった。
サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン、後輪が3リンク式コイルスプリング(handling by LOTUSは5リンク)で、前後ともスタビライザ付、ホイールアライメントは年式・グレードにより細かく異なる。シャーシはPFジェミニと共通だと言われがちであるが、フロアパンは新設計であり、PFジェミニとはサスペンション形式以外に足回りの共通点は無い。ホイールベース、トレッドともにPFジェミニより一回り大きく、サスペンションジオメトリもPFジェミニとは全く異なる。PFジェミニは強アンダーステアの曲がらない車として知られていたが、ピアッツァは出来の良いパワーステアリングと全面的に見直されたリヤサスペンションジオメトリ等により、極めて素直な弱アンダーステア特性を有する。そのステアリングは、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型パワーステアリング装備となる。
ブレーキはフロントが全車ベンチレーテッドディスク、リヤもJR120は全車ベンチレーテッドディスクである。
2代目はもう見る影もなくなっちゃったので割愛させていただきますわ。
昔、FFジェミニのアメリカ輸出向けの車運びのアルバイトで東扇島にいたときと、大黒埠頭にいたときはこのいすゞインパルスという輸出向けモデルを運転していましたね。 いすゞってすごくマニアックな会社で大好きでした。あのころが懐かしいです。
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