2008年7月18日金曜日

DC-10 (航空機)




DC-10は、アメリカ合衆国の航空機メーカーマクドネル・ダグラス(1996年にボーイングと合併)が、アメリカン航空の要望にこたえて作った、ワイドボディの三発式ジェット旅客機。ダグラスがマクドネルと合併(1967年)する以前の1966年に開発を開始したので名前は「DC」のままである。1970年に初飛行、1971年8月に運航を開始した。



機体
ジェットエンジン3発の旅客機である。エンジンの搭載位置は左右の主翼下に各1発、垂直尾翼基部に1発である。垂直尾翼基部のエンジンについては従来のS字ダクト(インテイク)を採用したロッキードL-1011 トライスターとは違い、垂直尾翼下部をストレートダクトが貫いており、エンジン自体は垂直尾翼後端にある。この形状のため、垂直尾翼は鋭く面積が小さめになっており、舵の効きを確保するため、二重ヒンジ式となっている。主翼は35度の後退角を有し、高揚力装置としてほぼ前縁スラットが全翼幅にあり、二重隙間フラップを用いている。

後部にもエンジンを持つ3発機であり、重心をとるため主翼は機体の中央よりやや後部にあり胴体が丸くずんぐりとしており、ストレートダクト故の鋭い垂直尾翼と合わせてシャチのようにも見える。

ベーシックタイプの-10型、航続距離を延長しセンターメインギアを追加した-30型や-40型、操縦システムを後継のMD-11と同じものに近代化改修したMD-10がある。また、旅客型・貨物型のほかに、軍用機として空中給油機KC-10のバリエーションがある。



販売戦争

日本航空のDC-10-40型機のコクピット1972年に運航を開始したトライスターとは、同じ市場を狙って激しく競合する機体であったため、「戦争さながら」と称されるような販売競争が繰り広げられ、各国の航空会社や政府首脳に賄賂がばら撒かれた。また、度重なるダンピングと壮絶な値下げ競争を繰り広げた。結局、この勝負は1981年にロッキードが旅客機部門から撤退することによって、DC-10が勝利を収めたが、ロッキードだけでなくマクドネル・ダグラスの経営も極度に悪化する事態となり、後に同社がライバルのボーイングに吸収される遠因となった(皮肉にも旅客機の販売競争に敗れたロッキードはその後軍用機メーカーとして残り、現在では世界最大級の軍需産業メーカーであるロッキード・マーティンとなっている)。

さらに、この時期にヨーロッパのエアバス社が成長し始め、2人による操縦系統を採用するなど新技術をふんだんに採用したA300やA310を続々と投入した。このため、陳腐化したDC-10は入れ替わるように1989年に生産終了となり、新型機材のMD-11の開発が急がれることとなる。総生産機数は446機にのぼった。




アメリカン航空やユナイテッド航空、ヴァリグ・ブラジル航空などの世界中の大手航空会社に導入され、日本では、日本航空(現日本航空インターナショナル)が-40型を、日本エアシステム(現日本航空インターナショナル)が-30型を導入した。





バージョン

ロンドン・ヒースロー空港に着陸するビーマン・バングラデシュ航空のDC-10DC-10はいくつかのバージョンが生産された。

DC-10-10
1970年から生産され、1971年8月に運用が開始された最初のバージョン。もともと、アメリカ大陸を横断できる航続距離をもつよう設計された。このバージョンの主要な顧客はアメリカン航空とユナイテッド航空である。このDC-10-10型機が搭載したゼネラル・エレクトリック製CF6-6ジェットエンジンは、後にCF6ファミリーとして成功する民間用ターボファンエンジンの最初のタイプだった。日本では1990年代前半までコンチネンタル・ミクロネシア航空が、サイパン・グァム線に使用していた。
DC-10-30
1972年から生産が開始された長距離型で、最も多く生産された型でもある。エンジンはCF6-50。さらに、航続距離を伸ばしたER型も生産され、カナディアン航空(現エアカナダ)やタイ国際航空、スイスエア(現スイスインターナショナルエアラインズ)が長距離路線に導入した。
DC-10-30F
DC-10-30の貨物型。ワールド・エアウェイズなどが導入した。
DC-10-40

日本航空のDC-10-40D型機のエンジン
F-16に空中給油を行うKC-10 エクステンダー。DC-10-30型機がベース1972年から生産された。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー製JT9D。発注したのはノースウエスト航空と日本航空のみ。当初は-20として開発されたが、ノースウエスト航空がマーケティング上-40が好ましいと判断したため、名称が変更された。日本航空の-40型のうち国内線仕様機は、最大離陸重量の関係上国内線運航では不必要となるセンターギアは装備されず、外観は-10型と同じに見える。
DC-10-15
1979年から生産が開始されたこの型は、DC-10 スポートとしても知られる。高温地帯や高地の空港で運用するために設計され、CF6-6よりも推力の大きなCF6-50が搭載された(高温地帯や高地では空気密度が小さいため推力が小さくなる)。7機だけが標高2400メートルのメキシコシティをハブ空港とするメキシコの航空会社、アエロメヒコ航空とメキシカーナ航空向けに制作された。
MD-10
マクダネル・ダグラスは後にMD-11という機体を製作する。MD-10はマクダネル・ダグラスを吸収したボーイングが、DC-10の操縦システムをMD-11と同様のものに近代化改修したタイプであり、乗員の型式限定はMD-11と共通のものとなった。これによって、FedExのようにDC-10(MD-10)とMD-11を運用する航空会社は両機種に対応したパイロットを確保できることとなった。このことは、エアバス陣営とのシェア争いのうえで重要な意味を持つ。
KC-10 エクステンダー
1981年から生産が始まった、軍用の空中給油機。アメリカ空軍がKC-135の老朽化と機体数不足から発注し、DC-10-30をベースとして制作された。燃料タンクを設置するためにすべての下部貨物ベイを改造する改修が施されたが、KC-135と違って貨物ベイ全体が燃料タンクというわけではない。これは貨物ベイ全体を燃料タンクにすると、重くて飛べなくなってしまうためである。




私はどちらかというとトライスターのほうが好きでした。 DC10と言えばUAのホノルルー成田ーバンコク線でしょうか。  日本エアーシステムの子会社、ハーレクインエアーというのもありましたし、ミネベアが自社で飛行機を持っていたという大盤振る舞いの時期もありましたよね。 月刊エアライン、あのころは毎月買っていました。

今はもうアメリカでも見られなくなりました、この3発機。 燃料費高騰の折、どんどん砂漠にストアーされて廃棄処分になるんでしょうね。

1 件のコメント:

Brad さんのコメント...

初めてアメリカに行ったときはノースのDC10でしたよ。フライトはKIX-SEAでした。