2008年6月7日土曜日

芳村真理




芳村真理といえば夜ヒットと料理天国ですよね。



芳村 真理(よしむら まり、本名・大伴 稲(おおとも いね)/旧姓・吉村、1935年4月3日 - )は、日本の司会者・女優(1990年代に芸能界の一線を離れて以降は、実業家・森林保全・環境保護活動家の活動が主となっている)。 若い頃は有名なモデルであり、芳村真理と同じ顔をしたマネキン人形は数十年にわたって大量に作られ、全国のデパートやブティック(洋品店)で多く見られた。


本名は稲さんです。



1968年(昭和43年)3月、日本コカ・コーラ等、海外企業の日本での現地法人設立に数多く参画していた実業家の大伴昭(後に日本ポラロイド、キヤノン、カルティエ・ジャパンの社長・会長を歴任)と再婚。「小川宏ショー」を降板するが、同年11月、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」スタートと同時に当時の人気司会者・前田武彦(マエタケ)と共に司会に抜擢される。当初はマエタケのアシスタント的色彩が強かったが、徐々に存在感を発揮し始める。マエタケ降板の後からは彼女がこの番組の屋台骨となり、男性司会者は三波伸介、井上順、古舘伊知郎と交替する中、芳村は1988年(昭和63年)2月の第1000回で降板するまで司会を担当。男性がメイン、女性がアシスタントというMCスタイルが多かった中で、台本を片手に持ちながら「自然体」の話術で進行をするという独特な司会スタイルが受け、「女性でメインをはれる司会者」の草分けとしてその名をテレビ史に残した。また、そのヘアスタイルやファッションはこの番組の名物となった。出演歌手、特に新人歌手の場合、極度の緊張で臨むことが多かったといわれる「ヒットスタジオ」の中で、その緊張感をほぐす精神的支柱としての役割をも担う事が多かったり、女優・男優を出演させる際には彼女の人脈が重要であった等、「ヒットスタジオ」における彼女の存在感は絶対的なものがあった(後年、石野真子や工藤静香もこの事については述べている)。
その後も、「3時のあなた」(フジテレビ系)、「ラブラブショー」(フジテレビ系)、「料理天国」(TBS系)など斬新な企画を目玉とする番組の司会を担当。また、「FNS歌謡祭'77~'86グランプリ」(1977年~1986年、フジテレビ系)、「新春かくし芸大会」(1971年~1990年、フジテレビ系)といった大型番組の司会も長年にわたり務めており、黒柳徹子、うつみ宮土理らと共に大物女性司会者の一人としてブラウン管でもおなじみの顔であった。芳村の、男性司会を立てつつ進行をしていくというスタイルは「くだけた感じの品位」という絶妙の雰囲気を番組にもたらすことで、高い評価を受けており(「かくし芸」での高橋圭三とのコンビ、「FNS歌謡祭'78~'86グランプリ」での露木茂とのコンビ、「料理天国」での西川きよしとのコンビ、「夜ヒット」での井上順とのコンビはそれぞれ約10年近くにわたる長期政権となり、何れもテレビ司会者史上に残る「名コンビ」と評価されている)、このことがブラウン管から遠のいた今もなお、日本のテレビ史上における女性司会者の代表格として彼女の名前が出ることが多いことの一つの要因ともなっているようである。
1988年2月に「この辺りで人生の一区切りを付けたい」という意思を表明して長年司会を務めた「夜のヒットスタジオ」を降板、芸能活動の一線からは身を引く。1990年頃までは「知ってるつもり?!」、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」(共に日本テレビ)などにもゲスト出演していたが、1992年、これも長く司会を務めたTBS「料理天国」終了と同時に完全に本格的な芸能活動からはリタイヤする。その後、1996年には森林の育成などをテーマとする「MORI MORIネットワーク」を立ちあげ副代表に就任、他にも(株)ミキモト取締役(現在は同社顧問)や自身の経営するコスメティック・カウンセリング会社の取締役(ズムズム株式会社など)、林野庁林政審議会委員(2001年~2006年)や(財)福澤記念森林会理事など政府系機関や財団・NPO法人の委員・理事を務めるなど経営・文化活動が中心的な活動となっている。特に「MORI MORIネットワーク」、林政委員会委員としての活動は活発的であり、熱帯林問題が深刻となっているタスマニアなど環境問題を抱えている外国への視察訪問や各地での植林啓発活動にも深く関わっている(このような経緯から、現在の彼女のポジションは便宜上「タレント」とされているが、むしろ「文化人」という方が正確であると考えられる)。「料理天国」終了後は、唯一「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ)にイレギュラーに出演する以外は、年に1回か2回程度、他の番組に顔を出すぐらいで、テレビ界での活動を極力控えて、一年の大半をプライベートや植林・環境保護の仕事の関係で海外や地方で過ごす毎日を過ごしている。日本郵船の豪華客船「飛鳥」の常連乗客の一人でもあり、同じく常連の乗客である橋田壽賀子・泉ピン子ともこれが縁で親交を持っている。
2005年4月、満70歳を迎えたが、早期にハードワークでもある芸能活動をやめたことが功を奏しているのか、実年齢とは結びつきにくい容姿を維持し続けている(外部リンクを参照の事)。2007年現在はモデル時代に数多く表紙を飾った「婦人画報」で「真理の真理(まりのしんり)」というタイトルの連載を執筆し、ファッションについての様々な一家言を述べている。



引退してもいまだ美しさを保っているそうです。

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