2008年5月7日水曜日
消えていった車たち 日産セフィーロ
最近の新車はどんどん新しい名前をつけて古い名前を捨てていますが、、私が好きだった車をいくつかご紹介します。
まずは日産セフィーロ。
以下、ウイキペディアより。
セフィーロ (CEFIRO) は、日産自動車が生産、発売していた中型高級セダンである。日本国内での販売期間は1988-2003年。[1]現在は後継車であるティアナの海外輸出のネーミングで使用している。
[編集] 初代(A31型 1988-1994年)
初代セフィーロ
初代セフィーロ(リア)
初代セフィーロ(車内)1988年9月1日発売。当時S13型シルビアのオプションパッケージなどでしか採用例のなかったプロジェクターヘッドランプを標準採用した斬新なフロントマスクが特徴的であった。流麗なデザインながらボディ形状は窓枠付きの4ドアセダン(その代わり後席窓ガラスの開口面積が小さい)で、後に登場する4ドアピラードハードトップのR32型スカイライン、4ドアピラーレスハードトップのC33型ローレルとは基本コンポーネンツを共有する姉妹車。マルチリンク式のリアサスペンションを持ち、駆動方式はFR。発売当初は全車にマニュアルトランスミッションが設定され、エンジンに関しては2LのRB20系エンジン3種(EGI付SOHCのE、EGI付DOHCのDE、EGI付DOHCターボのDET)を搭載。中でもRB20DETに関してはR31スカイラインに搭載の180馬力から205馬力にパワーアップした仕様であった。生産工場は、姉妹車の「スカイライン」「ローレル」と同じく、旧・プリンス自動車の村山工場であったが、一時期「サニー」「プレセア」などの小型車を主に生産する座間工場で生産されていた事もあった。
発売当初の広告では車名の下に「33歳のセダン。」というキャプションが付けられており、主にモノ選びにこだわりを持つDINKS層をターゲットにした販売戦略が取られていた。ユーザーが自らの趣向に沿ってエンジン(3種)・サスペンション(3種)・トランスミッション(2種)・外装色(7色+特別色2色)・内装生地(3種)・内装色(2色)などを自由に組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式「セフィーロ・コーディネーション」はその最たるモノである。発売当時の組み合わせは910通りであった。組み合わせた仕様の詳細はセンターコンソールボックスのふたの内側に貼られた仕様書で確認できる。なお、仕様による価格差は存在しても、装備品の差異はほぼ存在しない。外装には特に表記されないもののエンジンとサスペンションの組み合わせを表現する名前があり、RB20E搭載車には「タウンライド」RB20DE搭載車は「ツーリング」RB20DET搭載車は「クルージング」、標準サスペンション車には特に名前が無く、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS装着車に「コンフォート」、4輪操舵システムHICAS-II装着車に「スポーツ」の名前がつけられていた。そのため例えば「ツーリング」はすなわち標準サスペンションのRB20DE搭載車となり、「コンフォート・クルージング」はDUET-SS装着のRB20DET搭載車を指す。
しかし、実際にセミオーダーメード方式を活用してオーダーした場合は納期が長くなること、在庫車を購入する場合はセミオーダーメードの利点が無くなること、また直接的なライバル車であるトヨタ・マークII3兄弟が依然として量販グレードの白色モデルを大量に見込み生産し即納・大幅値引きによる攻勢をかけていたこと、そして斬新なフロントマスクの好みが分かれた事などもあってか、「くうねるあそぶ。」のキャッチコピーなどで大いに話題をまいた割には人気が今ひとつで、人工皮革のエクセーヌ張りシートを採用したエクセーヌセレクションの追加を皮切りに、ほどなくセミオーダーメード方式も頓挫、迷走するかのようなマイナーチェンジを繰り返していくことになる。
標準車のRB20DETターボエンジン搭載グレードのクルージングをベースとし、日産の特装車専門の子会社オーテックジャパンで、エアロパーツ、エンジンチューン、コノリー社製本革シート、オリジナル品の本革巻ステアリング、ブリヂストン・ポテンザ(タイヤ)、PIAA製アルミホイールなど、カスタマイズを施した「オーテックバージョン」が前期型の途中から追加設定され、1990年8月にマイナーチェンジされた中期型以降も引続き設定され好評を得ていた。
なんか、さんざんな批評ですが、私は好きでしたよ。 まああまのじゃくですから。
これ、井上洋水さんは運転ができないので助手席にいたらしいです。
でも、、、なんか気味悪いCMですけど、、、、。
日産はこの頃からだんだんとおかしくなっていったような気がします。
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