しばたはつみと言えばマツダコスモの宣伝って私だけでしょうか?
しばた はつみ(しばた はつみ、1952年4月11日 - )は、東京都出身の歌手。 父がピアニスト、母がヴォーカリストという環境に育つ。15歳のころから、CMソング等を歌う。 丸善石油の『OH! モーレツ』も彼女が歌っている。 その後、ジャズの世良譲に師事し、1974年「合鍵」でデビュー。
今でも、ライブ中心に活動。尚、松本伊代とは再従姉妹(はとこ)同士。
旧芸名は「はつみかんな」、「麻まにか」。1968年の新宿音楽祭金賞を受賞。1996年には日本ジャズヴォーカル賞大賞(ジャズワールド紙主催)を受賞。
主な楽曲
合鍵
マイ・ラグジュアリー・ナイト
マツダ・コスモCMソング。第28回NHK紅白歌合戦にはこの曲で出場。
化石の荒野
SHOW ME THE WAY
MUSICIAN
Golden Game
で、マツダコスモですが、友人のM君の家にあったのはこのタイプ。
[編集] 3代目・コスモ(1981-1990年)
3代目コスモ 2ドアハードトップ
ロ-タリーターボ
3代目コスモ 2ドアハードトップ
ロータリーターボ
3代目コスモ
12A型ターボエンジン
3代目コスモ ダッシュボード
3代目コスモ 中折れシート1981年(昭和56年)に登場した、3代目コスモは4代目ルーチェと姉妹車になった。ボディバリエーションも4ドア・セダン、4ドア・ハードトップ、2ドア・ハードトップの3種類を揃えた。空力に配慮されたデザインが特徴であり、ハードトップは4灯式のリトラクタブル・ヘッドライトを持つ。中でも2ドアのCd値は当時としては世界トップクラスの0.32を記録していた。エンジンは当初、従来型と同じMA型4気筒2Lレシプロエンジン(EGIおよびキャブレター仕様)のみが先行発売されたが、2.2Lディーゼルエンジン(セダンのみ)、12A型ロータリーエンジン(573cc×2)もすぐに追加された。
12A型ロータリーエンジンは新たに6PI(シックス ピー アイ)と名付けられた、6ポート・インダクションを採用、これは従来1ローターあたりプライマリーポート、セカンダリーポートと吸気ポートを2つ設けていたものを、新たにセカンダリーポートをメインポート、補助ポートと分割し、1ローター毎3ポート(2ローターで計6ポート)としていた。これにより燃費や出力の向上を謳っていた。
プラットフォームの型式から、「HBコスモ」と呼ばれ、区別されるが、それほど低くないノーズに、リトラクタブルヘッドライトを組み合わせたことから、「ゲンコツ・コスモ」なるあだ名を付けられてしまった。
1982年10月、12A型ロータリー・ターボ車を発売(ルーチェとともに世界初)。耐久性の関係から6PIの採用は見送られた。「全域・全速ターボ」と名付けられたこのエンジンは82年当時の国産車の中ではトップクラスの性能を誇り、80年代に行われる高性能戦争へ先鞭をつけた。
インテリアでは、デジタルながら、面積変化で情報を伝えるスピードメーター、サテライトスイッチの影響が見られる、メーターナセル両端に配した、エアコン、灯火類、ワイパーなどのスイッチ、カセットテープを見せるデザインの正立型カーオーディオ、シートバックの中折れ機構などに特徴がある。
自動車ジャーナリスト三本和彦は、1982年9月にコスモ・ロータリー・ターボを自動車ジャーナリスト3人で茨城県谷田部の日本自動車研究所で谷田部24時間耐久テストを行い、非公式ながら平均時速は211.7km/hに達し、しかもノントラブルだったと述べている。高速耐久トライアルとしてはトヨタ・2000GTによるものが有名であるが、6時間時点でのトヨタ2000GTの新国際記録210.42km/hを上回っている。(最終的にトヨタ・2000GTは72時間で平均206.02km/h)コスモが24時間でのタイムであること、メカニックなどの体制が十分ではなかったこと、暑さの残る9月、しかも昼12時から行われたテストであることなどを合わせ考えると、この数字は驚きに値する。
1983年10月、マイナーチェンジ。個性的なデザインからかルーチェともども販売が芳しくなく、4ドア・ハードトップのフロントマスクを一般的な固定式ヘッドライトへと変更する。このフロントデザインは翌年デビューするトヨタ・チェイサー(X70系)と酷似していた。同時に4ドア系に13B型ロータリー・スーパーインジェクション(SI)車を設定する。なお、2ドア・ハードトップは従来のリトラクタブル・ヘッドライトを継承した。
1985年5月、モデル末期のグレード整理と梃入れとしてレシプロエンジン車に「ジェンティール」シリーズを投入する。2ドア・ハードトップのフェイスリフトを行い、4ドア同様の固定式ヘッドライトが与えられる(ただしGTグレードのみ従来のリトラクタブル方式)。
ルーチェは1986年(昭和61年)にモデルチェンジされたが、コスモはハードトップのみが残り1990年(平成2年)まで継続製造された。
キャッチコピーは初期が「疾走する知性」「予感、ロマン。」 12Aターボ追加後が「全域全速ターボ。」 83年以降のマイナーチェンジ後が「咲いてるオトコのビッグラン(BIG RUN)」であった。
当時待つだの車で印象的だったのが、送風の出口が自動で左右に動く機能がついていたこと。 これはファミリアなどにもありました。 13Bターボの感覚はレシプロエンジンにはない感覚でびっくりもしましたし、どこまでも回るエンジン、将来ほしい1台でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿