2008年5月7日水曜日

トレンディー御三家は今

トレンディー御三家ってご存知ですか?

1990年前後に一世を風靡した3人の俳優だそうです。

まずは吉田栄作。 神奈川の秦野市の田舎の出身だそうです。



一時期勘違いしてましたよね。 ビッグになるってアメリカに渡って、、、でも戻ってきてからのほうが落ち着いた演技で評価も高いようですが。

吉田 栄作(よしだ えいさく、1969年1月3日 - )は、神奈川県秦野市出身の俳優、歌手。所属事務所はワタナベエンターテインメント。矢沢永吉と浜田省吾を尊敬している。 妻はモデルの平子理沙。182cm(実際の身長は184cmと『ぶっちゃけ!99』、また『2時っチャオ!』でも発言)72kg。

1988年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でのグランプリ獲得がきっかけとなり、映画『ガラスの中の少女』でスクリーン・デビュー。阿部寛、風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリだった。当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年、当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わす『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ。吉田らが俳優としても成功を収めたことで、モデル上がりは顔だけで中身が無い、と言われる事なく、多くの後続が続いた。なお現在隆盛を極めているモデル上がりの女優、女性タレントはこの頃はまだ存在しなかった。吉田らの成功は、演技力は別として男女タレントのルックスを大きく向上させたといえる。

1989年に『どうにかなるさ~Chasing My Dream』で歌手としてもデビュー。1990年・1991年に紅白歌合戦出場。(1990年は『心の旅』、1991年は『もしも君じゃなきゃ』を歌唱)

1990年代は加勢大周・織田裕二と3人で「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれ、吉田は長男格であった。しかし、あまりにも自尊心の高さをアピールする芸風が一時一人歩きし、1995年に芸能界を一時期休業。役者修業のため渡米。この時期にモデルの平子理沙と結婚した事にかこつけて「ヒモ」と揶揄する芸能マスコミが多かった。

1998年に帰国後、ドラマ『流通戦争』(NHK系)で国内での俳優業に復帰。その後、『マネーの虎』(NTV)の司会者として人気を博する。以来、精力的にテレビドラマや新国立劇場での舞台演劇等に出演し、優れた演技で高い評価を得る。

次に加勢大周。  




加勢 大周(かせ たいしゅう、本名 川本 伸博(かわもと のぶひろ)、1969年12月29日 - )は、日本の俳優。



1989年、東京都立玉川高等学校卒業。

1990年、桑田佳祐初監督の映画『稲村ジェーン』で主役に抜擢され俳優デビュー。その後吉田栄作・織田裕二とともに「トレンディ御三家」(平成御三家とも)と呼ばれ、ドラマにも引っ張りだこだった。

ところが、1991年に加勢が実母を社長に据えて個人事務所を設立し前事務所からの独立を画策した際に、前事務所が芸名の使用の停止を求めて裁判所に提訴し揉めに揉めた。前事務所が「加勢大周」という名前を商標登録していたためである。ちなみに「加勢大周」という芸名は、前事務所社長が敬愛する幕末の勝海舟から名付けたものであり愛着があったという。1年3ヶ月の裁判の結果、勝訴となり加勢大周の芸名は認められたが、その後前所属事務所が「新加勢大周」として同名タレントをデビューさせる。ただ、すぐに坂本一生(幕末の坂本龍馬から)と改名。プロダクション側は「加勢大周の名をプレゼントする」とインタビューで公言しこの問題は収束した。

1995年頃からは助演としての出演が目立ってくるようになった。この頃から、台湾のTVドラマへの出演を始め、現地で人気を博した。また、同年に“カルトの帝王”と呼ばれた石井輝男監督のアクション映画『無頼平野』に主演。

2005年から「くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン」、2006年からはゴールデンに昇格した「くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!」の「ベタドラマ」にベタ男役として出演。

笑っていいとも出演時に(2006年1月6日)、オートレースが大好きであると公言している。


で、最後に織田裕二。 一時期サンフランシスコにいらっしゃいました。



織田 裕二(おだ ゆうじ、1967年12月13日 - )は、日本の俳優・歌手。神奈川県川崎市多摩区出身。本名は同じ。BAC CORPORATION所属。 身長177cm。体重70kg。



鈴木保奈美も若いですよね。 

桐蔭学園小学校・中学校・高等学校卒業。中学1年から高校1年までテニス部に所属。高校時代は「デップス」というバンドを組み、ギターを担当していた。高校2年のクリスマスイブにライブは1回だけ行われた。そのライブを見に来ていた人の紹介で、現在の事務所にスカウトされるが、当時は芸能界入りに興味が無く、「学校がうるさいので…」との理由で断っていた。高校卒業後、ピッツバーグ大学日本校へ入学するも中退。その後俳優の道へ進む。

ここに出てくる黄色い公衆電話、、、こんなのもうないですよね。


ま、加勢さんはちょっと活躍されてないようですが、40近くなってからのほうが皆様演技に幅がでてきたようで今のほうがいいと思うのは私だけでしょうか?

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