ミュンヘン郊外のダッハウ(Dachau)、ハンブルグ郊外のノイエンガンメ(Neuengamme)もありましたが、丁度ベルリンにいたのでザクセンハウゼン(Sachsenhausen)の強制収容所跡に行くことにしました。
ドイツ統一からまだ6年後のことで、私が泊まった東側のホテル(当時の名前でフォーラムホテル。 アレキサンダープラッツにありました)から西側のクーダムまで電話をするのにわざわざパリ経由でないとつながらなかった時代です。 東側はどこもかしこも工事中で、フリードリッヒシュトラーセ界隈はけたたましい道路工事の音だらけでした。
で、ザクセンハウゼン(Gedenkstaette und Museum Sachsenhausen)へ。
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Sバーンでベルリンの約30キロ北にある駅、オラニエンブルグ(Oranienburg)から徒歩約20分で到着です。 僕は道に迷って何度か場所を聞きましたが、その頃の旧東の人は英語は全くわからずドイツ語で教えてくれました。
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入り口の扉には、Arbeit macht Frei (労働は自由をもたらす)と書かれています。
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丁度、アメリカからユダヤ系アメリカ人の団体が来ており、中にはすすり泣くおばあさん達もいらっしゃいました。
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ガス室跡。 この他、死体から取り除いためがねの山や囚人服なども展示されていました。
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看守塔跡。 こういうところから脱走しようとした囚人を撃ったんでしょうね。
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記念塔です。
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中を見ているうちに気分が悪くなりました。 それは、日本と違い(テレビなどでも手術の映像や死体を生生と写すドイツらしく)なにもかもが生々しく、人間のする醜さやそこで何が行われたかということを肌で感じた体と思います。
その後またベルリンへ戻りハンブルグへ向かったのですが、流石にノイエンガンメやダッハウへは行く気がしなかったです。
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