2008年4月30日水曜日
日産レパード
それまで乗っていたローレルが壊れたため買った車がこの日産レパードでした。
近所の池端さん(芸名 加山雄三さん)がCMをしていました。
うちのはL20ET。 伝統の(悪い言い方では古臭い)日産のL型6気筒ターボ。
ライバルはソアラでしたが、むこうはDOHCエンジンとエンジン面で新しかったことややはりトヨタの販売力もあり全然売れませんでした。
ウイキペディアからの説明です。
「日産・レパード」は、1980年、910型ブルーバードの北米向けに直列6気筒のL24Eを積んだ「G910型 マキシマ」をベースとした上級2ドア/4ドアハードトップとして、810型まで国内に設定されていた、ブルーバード「2000G6」シリーズの事実上の後継車種の位置付けと、スカイライン、ローレルに続く上級車ラインアップの一角を担うべく登場した。
1999年のモデル消滅までの19年間、終始コンセプトが定まらず二転三転した事が大きな特徴で、初代は前述の通りブルーバードベースの上級2ドア/4ドアハードトップ、2代目はスカイラインをベースにし、トヨタ・ソアラを強く意識した高級2ドアクーペのみ、そして3代目~4代目はセドリック/グロリアベースの高級4ドアセダンのみというコンセプトの変わり様であった。その迷走ぶりは、スーパーホワイトのボディカラーと共にマークII3兄弟やクラウンを大ヒットさせているトヨタに比べ、日産のマーケティング戦略が如何に未熟で下手であった事を如実に物語っていた。
しかし、車両価格を高めに設定できた事と主流商品ではなかった事により、新技術の先行投入が積極的に行われた結果、その後の日産車をはじめ、他のメーカーにも少なからず影響を与えたと見る向きもある。
前述の迷走ぶりもあり、レパード自体は確固たるブランド力を構築出来なかったが、その後の同社のインフィニティQ、M、G(シーマ、フーガ、スカイライン)をはじめとした高級パーソナルカーにその経験は生かされており、ある意味ではこの3車がレパードの後継車と言えるだろう。
初代 F30型 (1980-1986年)
日産・レパード(初代)
4ドアHT(前期型)
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メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 1980年 - 1986年
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 5人
ボディタイプ 2ドアハードトップ
4ドアハードトップ
ハイブリッド
エンジン V6OHC 2960ccターボ VG30ET型
直列6気筒OHC 2753cc L28E型
直列6気筒OHC 1998cc L20E型
直列6気筒OHC 1998ccターボ L20ET型
直列4気筒OHC 1770cc Z18型
モーター
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 5MT/3AT/4AT
駆動方式 FR
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:セミトレーリングアーム
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4630mm
全幅 1690mm
全高 1355mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2625mm
車両重量
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク}}}
燃費 {{{燃費}}}
別名 {{{別名}}}
先代 日産・ブルーバード(810型)
後継
姉妹車/OEM 日産・レパードTR-X
車台共有車 日産・ブルーバード(910型)
同クラスの車 2ドア:
トヨタ・ソアラ
マツダ・コスモ
三菱・ギャランΛ
4ドア:
トヨタ・マークII
トヨタ・チェイサー
トヨタ・クレスタ
マツダ・コスモ
-自動車のスペック表-
[編集] 概要
当時、荻窪にあった旧・プリンス自動車工業の開発拠点で開発された車種である。ベースとなったのは、910型ブルーバードを基に、北米向けに直列6気筒のL24Eを積んだ「G910型 マキシマ」であり、810型まで国内に設定されていた、ブルーバード「2000G6」シリーズの事実上の後継車種にあたる。
ボディタイプは4ドアハードトップと2ドアハードトップだった。これに加え、チェリー系販売会社向けの姉妹車として、「レパードTR-X」(トライエックス)も設定された。レパードの異型ヘッドランプに対し、TR-Xは、規格型の角型4灯ヘッドランプを採用する。
初代(F30型)は、さまざまな「世界初」や「業界初」(最近普及してきた燃費計やフェンダーミラーワイパーといった役に立つかどうか不明のものも含む)を携えて登場した。また、スタイリングには、910型ブルーバード、430型セドリック / グロリア同様、ピニンファリーナの手が入っており、リアウインドウに使われたベンドグラスや、C ピラーとリアフェンダーを面一としない手法(キャビン後端の幅を狭め、C ピラーの後ろを絞り、ボディー全長にわたるショルダーラインを際立たせる)は、国産他車に先駆けるものであった。ただ、車体幅が5ナンバーサイズであったため、現代の車と比較すると前後の絞りは少なく、ひょろ長い印象がある。このように未完成な部分もあるが、スタイリングの完成度に比べエンジンが旧態依然としたL型エンジンと凡庸であり、ライバルのトヨタ・ソアラが「GT」系グレードにDOHCエンジンを搭載していた(当初は2.8Lのみ、後に2Lも)のに比べ大きく見劣りしていた(レパード発売当時、日産にはまだ相応しい新型エンジンがなかったため)。1984年、ようやくフェアレディZ 300ZXと共通のV6エンジン(JISグロス最大出力230馬力)搭載の「300ターボグランドエディション」が追加されたが、すでにモデル末期に差し掛かっており、販売台数が好転することはなかった。発売当初はソアラを強く意識したため2ドアを販売の中心としていたが、反対に4ドアの方がたくさん売れた。
1984年10月、本家ブルーバードに6気筒エンジンを搭載したマキシマが加わった為、レパード4ドアはその存在意義を失ってしまった。また、ライバルのソアラが2ドアのみだった事もあり、次の2代目は2ドアのみでの再スタートとなった。
ま、あまり評価されてませんが、世界初の電動フェンダーミラーワイパー、何よりもデジタルメーターの先駆けでしたので僕は大変好きでした。
しかし、年始の挨拶の帰り、横浜新藤で渋滞中うしろからブレーキもかけない酔っ払いの車に激突されあっけなく廃車に。
そして我が家にはレパードの次のシーマが来ることになるのです。
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